20150704 山神径路の変貌 [古道探索]
休みと言えば・・・雨・・・
テンションも↓気味・・・そんな訳で・・・
つい最近、山神径路についての話題がチラホラと有ったので
少しばかり、その変貌について調べてみた
意外に知られていない事も有るので、暫しお付き合いを・・・
一般的に知られている山神径路は・・・《 トップ地図 》
玄倉の集落から前尊仏様を経てヤトノカゲ澤(現在の玄倉G付近)に向かう
ルートを二分し、旧道を、塔ノ平を経て小菅澤右岸径路から山神峠、更に
水平を、やや高度を下げながら玄倉林道第八隧道先に至る径路である
現在では所々崩落分もあり、通して歩くのは困難となってしまったが
未だにバリエーションファンに愛され、踏み跡が絶えないのは
この径路の雰囲気が独特の径路感を醸し出しているからだろう
そんな山神径路であるが、一体、いつ頃から歩かれているのだろうか?
《 大日本帝国陸地測量部 明治二一年測量、明治二五年発行【塔獄】【中川村】1/20000 》
大日本帝国陸地測量部、明治二一年測量、明治二五年発行の
【塔獄】【中川村】1/20000には
古道が玄倉の集落から秦野峠を越えて寄に抜ける途中
小菅澤、小豆畑澤出合付近から派生した破線が
小菅澤を遡行して、山神峠を経由、ユーシン方面に抜けている
此処で注意してもらいたいのが、径路が玄倉川に降りる地点
古い地図でわかりにくいが、逆木丸の東鞍部から北側に降りて居る
(玄倉林道第七・八隧道中間か?)
現在の山神径路とは降りる地点が変わっている
ちなみにこの地図では、境隧道上を通る径路(御料林径路)は記されていないが
秦野峠から山神峠に向けて北上する径路は記されている
御料林径路も地図に載らないだけで、すでに人の往来は有ったのだと思う
《 大日本帝国陸地測量部 昭和四年測量、昭和七年発行【中川】1/25000 》
大日本帝国陸地測量部、昭和四年測量、昭和七年発行の【中川】1/25000
では雨山澤迄径路が伸びている
この部分、径路が林道に吸収されてしまったのか?それとも
径路部分が残っているのか? 今まで注意深く林道から眺めてきたが
それらしい痕跡は見つからなかった一度じっくり探索しなきゃならんと
思っている
ちなみに、この地図にはあちこちに径路が書き込まれていて
楽しい限りである、山神峠は径路の交差点であり往時が偲ばれる
もう一つ面白いのが雨山径路
山神径路と合流して、玄倉川を渡り右岸径路からユーシンに向かっている
多分右岸段丘部には集落でも有ったんじゃないかと想像できる所だ
色々と、見てくると分かるのは、やっぱり丹澤は、江戸の昔、それ以前かな?
人々が縦横に歩き回っていた・・・と言うことだね
その踏跡を、現代人が利用させて貰っている・・・有難いことじゃないか!!
でも最近は、一度崩れたら放置状態だ、勿体無いやら、寂しいやら
やっぱり道は歩いてナンボヤネ・・・皆で古道を踏み固めましょ~!!
2015-07-04 15:01
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コメント(6)
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M氏、また面白そうなことに首を突っ込みはじめましたね。
「山神径路が合流して、玄倉川を渡り右岸径路からユーシンに向かっている。多分右岸段丘部には集落でも有ったんじゃないかと想像できる所」は下記フログ記事で書いた初代休泊所があった諸士平だと思います。
http://igaiga-50arashi.at.webry.info/201501/article_6.html
業務連絡:面白い探索は誘ってください。
by イガイガ (2015-07-05 19:55)
イガイガさん
そうなんですよ、諸士平(諸子平)
寄から、長い山道を抜け、雨山径路を玄倉川に降りると
対岸に集落の灯りが見える
きっと当時の人はその生活の灯を見ると
ホッとしたんじゃないかな・・・って思うんですよね
玄倉からの山神径路も然り
「山神径路の変貌と諸士平(諸子平)の謎?」
・・・なんてテーマでやりましょうか?
でも、最近休みが不規則で・・・(;_;
な・・・・M氏です
by M (2015-07-05 20:13)
MSHK師 寝たふり、じゃなくてネタ振りありがとうございます。
山神経路ですが、当隊が何年か前にシミュレーションで占ったところ、
山 神 経 路 に 人 が 行 け ば 行 く ほ ど
ケ ガ 人 が 増 え る
という恐ろしい一般的結論(別に山神経路でなくても通用しそうな)が出ています。
だってスッパリ切れたところを見ると、経路は砂の上ですぜ!
ちょっと大雨が降るとごっそり削れるところですぜ!!
石積みのしっかりしたところは公的資金が注入されたところで、
それ以前はまあケモノ道ですな。
by TI-AEK28@アンチ山神経路 (2015-07-05 21:58)
M氏へ
ご無沙汰してます。
「丹澤はその昔、人々が縦横に歩き回っていた」って意見には納得です。山奥の小さな支沢にも名前が付いているもの。
TI氏へ
はぁ? 山神経路がケモノ道だって!?
山神経路は尊仏信仰の道だって話を読んだことがある。尊仏参りをするためには、玄倉から山神峠を越えて行くか、寄から鍋割峠を越えて行くしかなかったとか。
諸士平に休泊所ができる前からの信仰の道だと思っています。
再びM氏へ業務連絡 : ハイ!ハイ!オイラも是非!!
by shiro (2015-07-07 00:43)
TI-AEK28@アンチ山神経路氏・・・
何でアンチか?・・良く解らないですが
道って~のは、壊れる・・治す・・壊れる・・治す
その連続が続いているだけで
最近の作られる◯◯◯林道の方がよっぽど・・・
でも、あんまりおおっぴらにしないほうが良いのかな?
こっそりと、ひっそりと・・・かな
by M (2015-07-07 20:48)
shiroさん
TI-AEK24氏は、ほっときましょう!!最近、姿見せないし
お土産無いし・・・?
「丹澤はその昔、人々が縦横に歩き回っていた」・・・
コレに尽きるんですよね
歩いてみれば分かる、実感できます
独り言は山でブツブツ!!
ストレス発散でね
わっ・・・最近僕もストレスが
業務連絡・・・計画は??まだかな
by M (2015-07-07 20:56)